起きていることだけじゃなく、その裏側に目を向ける

こんにちは、あやこです。

 

ちょっとまじめにブログを更新してみようと、気持ちを入れ替えました。

 

伝えたいことはあるのに、それをうまく言葉にできずにいて、

本当にもどかしい。

「あっ、これっ!書きたい!」って思うのに、

いざパソコンの前に座って、キーボードを打ちはじめると、

どんどん薄れていってしまうのです。

もったいない。。。

100%の完成度ではないにしても、表現することに意味があると思ってがんばります。

 

先日、私はある経験をしました。

自分の弱くて情けない一面を改めて実感するという経験です。

それは私の中で起こっていることであって、他の人には決してわからないことです。

その経験から思ったことですが、

同じ出来事でも感じ方や人が違えば、全く異なった経験になるということです。

言ってる意味わかりますか?

 

その出来事自体に意味があるというよりも、

その出来事をどのように捉え、どう感じるかは人それぞれで、

その出来事を、その人にとってどんな経験にするかは、その人次第だということです。

 

例えば、

ある人から、壮大な計画を聞かされます。

それは、到底自分には思いつかないような凄すぎる計画です。

それはひとりの人間の力で実現するような計画ではありません。

実現したら人類の歴史に残るような計画です。

その計画を聞いたあなたは、協力することにします。

計画を実現させるためには、幾多の壁が立ちはだかることでしょう。

とここまで。

 

このことから、この人は色んな経験ができます。

私は、ここに出来事だけを書きました。

でも実は、起きていることだけじゃなく、

もっと多くのことがその裏側には含まれています。

 

この人自身がどう感じたか?というところです。

その感じ方によって、経験自体が全く違うものになってしまうのです。

 

想像してみてください。

 

例えば、この人がこの壮大な計画を聞かされたときに、

実は内心嫌々だけれども協力することにしたとしたら、

この経験はどんなものになるでしょう?

逆に、この壮大な計画に心を突き動かされ、すごいチャンスだと感じていたなら、

どんな経験になったのか?

 

同じ出来事でも、感じ方が違えば、その人にとって全然違うものとなります。

で、何が言いたいのか?というと、

起こっている出来事だけに、一喜一憂していては、

その出来事の本当の意味は見えてこないということ。

 

今回の私の経験も、ただの出来事だけを見ていたなら、

自分の弱さや情けない一面には気づかずに過ぎていったことでしょう。

もしかしたら、人から見たら喜ばしい出来事にも映ったかもしれません。

見えてる出来事に意味を与えるのは、見ている人です。

その出来事の裏側で、実は私はそんなことを感じていたのです。

自分の見たくない一面を見て、

この経験自体私自身にとって良い経験ではないようにも思えますが、

さらに深く深く掘り下げていけば、そんな自分を直視し受け入れるチャンスとなりました。

 

出来事の見えている部分だけじゃなく、もっと裏側に意識を向けると、

すると、さらに多くの可能性が広がっています。

要は、どこに目を向けるか?どこに意識を向けるか?なんです。

 

今日も最後までありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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