インターネットを利用する者として、考えていかなければならない大事なこと。

おはようございます、あやこです。

 

ふと思ったのですが、名もない一般人の私が、こうして自分専用のメディアを持っていることってすごいことだなって改めて思いました。

その自分のメディアを使って、個人が情報を発信でき、その情報に共感する人同士つながることができます。

リアルな世界では実現できなかったことも、ネットを使うことによってそれが可能となり、理想の世界を創ることこともできてしまいます。

しかも、一瞬にして。

何だかそこに宇宙を感じてしまいました。

人間が宇宙を創ってしまったんだなぁ~、と。

リアルな世界とバーチャルな世界。

 

今の若者にとっては、リアルな世界よりもバーチャルな世界で生きることの方がリアルになりつつあります。

今までは映画の中だけの話だと思っていたことが、現実として起こり得るんだなぁと少し怖さも感じてしまいました。

 

今のままでは、人間は自分で自分の首を絞めてしまう結果になりかねない、そう思います。

そのことに気づいて危機を感じている人はどれだけいるのでしょう?

ネット社会の光と闇。

もっと人間の質を上げていかなければ、長い年月をかけて築き上げてきたものがすべて台無しになってしまう恐れがあります。

 

それを防ぐためにも、人間の質を上げるにはどうしたらいいんでしょう?

本当に真剣に考えなければいけない時期にきているような気がします。

すでに遅いぐらいなのかもしれません。

これは、人間としての在り方が問われる問題です。

でも、多くの人は誰かが何とかしてくれるだろうと、問題意識さえ持っていないかもしれません。

自分の身に何か危害が生じて、やっと自分のこととして聴く耳を持ち始めます。

そして、怒り出します。

そんな結果になってしまったのを、誰かのせいにして。

問題が起こってから、いつも決まって、「そんなこと知らなかった。」、「こんなことになるなんて思わなかった。」と言い出す始末。

自分の身は誰かが守ってくれると信じている。

そんな風に思えるぐらい平和な世の中なのは素晴らしいことだけど、責任を全て他人に押し付けてしまっている人が多すぎるのは、かなりの大問題なんだと私自身の反省も含めて思いました。

 

私も自分の責任は自分で取れるよう努力しています。

努力はしていますが、まだまだ甘えた生き方をしているなぁと思うところはいっぱいあります。

自分の責任は自分で取るためにも、自分をコントロールできるようになろうと思っています。

なかなか上手くいきません。

完璧に自分をコントロールできるようになるなんて思ってはいません。

思ってしまうことの方が怖いことだとも思います。

私はよく大事な時に限って、間違った判断をしてしまいます。

どれだけ注意をしていても、です。

自分のことを見ていてもそうですが、人間はとんでもない間違いを犯すし、大事なことでさえすぐに忘れてしまう生き物です。

それは人間である以上、仕方のないことなのかなぁとも思います。

間違ったことをしてしまったなら反省をして、次同じ過ちを繰り返さないように気を付けるしかありません。

 

同じ過ちを繰り返さないようにするためにはどうしたらいいのか?ということを本気で考えなくてはいけません。

今は問題が起きると、責任の追及だけにエネルギーを注いでいますが、そうではなくてその問題から何を学ぶべきか?を各個人が考えるようにすることにエネルギーを注ぐべきです。

意味のある問題解決の仕方を学ばなくてはなりません。

怒りに任せて行動しているようでは、解決することはできないだろうと思います。

感情との付き合い方を学ぶことと、間違いを「許す」ということ、これがすごく大事なのではないかと私個人は思います。

「許す」ことをしていかなければ、問題は解決されません。

「許す」ことを知らない人、知っていてもできない人は多いのかなと思います。

私も耳が痛いところではあります。

偉そうなことを言いながら、私もまだ「許す」ことに慣れていません。

だからこそ学ぶ必要があります。

本当は許したいのに、割り切れない想いがあったりして、なかんか許せなかったりしますから。

自分は悪くない、誰でもそう思いたいですもんね。

こんなこと書いていても、私も最近になって「許す」ということを知りました。

言葉では理解していても、実際に「許す」ことをしていなかったのです。

自分の体験を通して「許す」ことの重要性を強く実感しました。

「許す」ことをしなければ、いつまで経っても前へは進めません。

同じところをグルグルしているだけになってしまいます。

 

誰もが自分の価値観に沿って生きています。

私は私の価値観に従っています。

そもそも、その価値観自体、何を基準にできあがったものなのでしょう?

すべての人が同じではありません。

一度でも自分の価値観を疑ったことはありますか?

盲目的に信じてしまっている人も多いかもしれませんが、その価値観見直した方がいいかもしれません。

周りの人が言ってるから、世間がそうだから、社会がそうだから、親が言ってたから・・・。

それだけの理由でできあがってしまったのなら、これからの時代を生きていくために、その価値観でいて自分や自分の大切な人を守れるでしょうか?

私は自分の価値観を信じられません。

自分はこうだと思っていたとしても、人の意見を聴いたり、色んな経験から、どんどん塗り替えられていきます。

考えが二転三転することなんてよくある話です。

だから、自分一人で判断するのではなく、客観的な意見を取り入れる必要もあります。

そのためには、信頼できる人間関係が築けているかが問題です。

信頼できる人間関係を築こうと思ったら、相手を尊重することができなければなりません。

価値観を創り上げる作業とは、自分を創造することと同じだと思うのですが、結局いつも基準となるのは、どんな自分で在るか?です。

どこまでいっても、そこへ立ち返ってきます。

それぞれの人が自分の頭で考え、誰かの答えで満足することなく、自分の答えを見つけようとすること。

それが大事なのだろうと思います。

そんなこと考えたこともないと言う人がいるかもしれませんが、これを機会にぜひ考えてみてほしいと思います。

難しく考えず、ここに書いた問題をどんな自分だったら解決できるか?を考えてみてください。

正しい答えはありません。

そうやって、少しずつでも自分の在り方を問い始める人が増えていくと、世界も変わっていくような気がします。

今、人間が変われるものすごいチャンスなのかもしれませんね!

 

私ごときがこんなことを自由に発信できるのも、インターネットのおかげです。

個人の意見だとしても、ブログに記しておけば、いつかどこかで共感してくれる人が現れて、革命が起こる可能性だってなくはありません。

そんな可能性を個人が手にすることができるのも、インターネットの力です。

そこに感謝しつつ、安心してその力を使えるよう、それぞれ個人が自分のレベルを上げる必要がありますね。

インターネットを利用する者として、私も自分の問題としてしっかり考えていきたいと思います。

 

長々とお付き合いくださいまして、ありがとうございます。

 

メンターを付けるとなぜいいか?は次回お伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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