女性の裸はこの世で最も美しい!

おはようございます、あやこです。

 

昨日に引き続き、『美しさ』について考えてみたいと思います。

昨日の記事をまだ読んでない方は、こちらからどうぞ。

美しさとは?

美しいを知らない人は多いんじゃないか?

美しさが何かをちゃんと説明できる人はいないと思います。

そもそもそんな定義があってはおかしい気もするし・・・。

でも、『美しい』を知らない人は結構いるんじゃないかと思います。

それは、私を含めてです。

美しいものを、美しいと教えられてこなかったから。

これも教えることなのか?と疑問に思うところではありますが、本当に美しいものを美しいとして見てきていないことに問題があるのかとも思います。

きれいな風景や大自然、宇宙を見ると誰でも美しいと口を揃えて言います。

本当に感じているかは別として。

それらは世間的にも美しいものとして認識されているから。

ただ頭の中だけで美しいものと判断しているだけのようにも思います。

美しさに感動しているのとは違う気がします。

今書いていて思いました。

美しさに感動している人はどれぐらいいるのだろう?

今でこそクリエイティビティと言われる世の中になってきました。

でも、本当にクリエイティブなことに価値をおいている人は少ないような気もします。

ただ世間で言われているから、そう言っていればかっこいいから、ただそれだけの人も多いのではないかと。

わかりませんけど。

私は恥ずかしながら、美しいものを本当の意味で美しいと感じられるようになったのはここ最近のこと。

これは、美しいものをちゃんと見てこなかったからだと思います。

そして、そこに価値をおいていなかったからでもあります。

これってすごくもったいないことをしてきたんだってことに、ようやく気づくことできました。

ただ世間が認める美しいに流されてしまっていたこと、ただ単純に美しいものを見てこなかったことに。

本当に美しいものを見ると心が動きます。

勝手に涙が出ることもあります。

そこで気づくんです。

今までは、美しいを頭で考えながら見ていたってことを。

それでは心は動きません。

心が動くと書いて、感動です。

感動する体験をしている人が少なすぎる。

先日、ピアノのコンサートに行きました。

その時に思ったことがあります。

それは、すごいと感動は必ずしもイコールではないということ。

これは言葉の選び方でもありますけど。

私に芸術がわかるのかは疑問が残るところですが、ピアノを聴いていて思ったんです。

感動している時とすごいと感じている時は違うなって。

すごいと感じている時は、心が動いているのとは違って、ただ感心しているだけでした。

テクニック的な部分と言ったらいいのかな?

私には到底無理だなと思うすごさ。

それは、心が揺さぶられる感じではないんです。

でも、観客の多くはこのテクニック的にすごい曲の方に大きな拍手が沸いていたように思います。

これはもう価値観なので、どっちが正解はないんですけど。

昔の私だったら、同じようにテクニック的にすごい曲の方に大きな拍手を送っていたかもしれません。

 

『美しい』と感動することに価値がある。

今まで美しさに感動する体験に価値をおいてこなかったなんて、本当になんてもったいない生き方をしてきたんだろうって思います。

さっきも、美しいを教えられなかったと書きましたが、美しいものを教えてほしかったのではなく、『美しい』と感動することがどれだけ価値のあることかをもっと早くに教えてほしかったと思うのです。

それだけで人生が変わると言っても過言ではありません。

今の世の中は、利便性だけに価値をおいてできあがってしまったように思えます。

そのおかげで、今のような便利な生活ができているのも事実です。

だから、それを非難する気持ちはありません。

むしろ感謝しているぐらいです。

利便性を追求してきて、ある程度満足いくところまできたので、徐々にクリエイティビティだとか芸術性に意識が向くようになってきたように思います。

以前は、芸術性やクリエイティビティに価値をおいているのは極一部の人だけ。

だから、私のような一般庶民はそんなところに価値があるとも知らず、見向きもせずに生きてきてしまいました。

これを誰かのせいにするってわけではないけれど、もしそこに価値をおいて生きてきたら、もっと違う人生を歩んだだろうなって思います。

きっと、そう思う人はたくさんいるんじゃないかな。

今もまだ、その価値に気づいていない人は大勢いるぐらいだし。

もっともっと感性を磨く必要があります。

ここでまた、感性を磨くには?て疑問が出てきてしまいますが、それはまた別の機会にしたいと思います。

 

人が言うから価値があるんじゃなくて、自分が感じるから価値がある。

自分の価値基準を持って判断できている人は、今の世の中、本当に少ないと思います。

私も全然できていません。

それって、何だか胸を張って「生きてます!」って言えない気がするのは私だけでしょうか?

私は本当はそれがしたいのかなって最近思います。

 

美しいと感じるものを、そのまま素直に美しいと言える自分であること。

誰かの目を気にするでもなくストレートに表現したい。

そんなことすらできないでいます。

 

タイトルにもあるように、最近本当に女性の体が美しいと感じます。

体、それ自体が美しいんだから、服なんて着ていたらもったいない気もしています。

裸のままが一番美しい。

今までは女性の体を、きれいだなとか、スタイルいいなぐらいにしか見ていませんでした。

ちょっと視点を変えて見てみると、今まで見ていたものが違うもののように見えるような経験ありませんか?

女性の裸もそうだと思うんです。

世間的にも社会的もに、女性の裸=ポルノとして扱われています。

ポルノとは、猥褻という意味。

猥褻<わいせつ>という意味調べたことありますか?

わいせつ
猥褻
  1. 《名・ダナ》

    性に関する事を健全な社会風俗に反する方法・態度で取り扱うこと。
とありました。

ウィキペディアで調べると、女性の裸は犯罪につながる勢いです。

女性の裸をポルノとして捉えてしまう感性の乏しさ、そこに問題があると思うのですが。

どうして犯罪につながるのか?って、規制してしまうからですよね?

規制するから、余計見たくなる衝動が起こるのに。

この問題は物議を醸しだしてしまうのでこの辺でやめておきますが、せっかくの美しいものを、犯罪の対象としてしか見られないのは何だか悲しく思います。

そんな風にしか見れない、考えられない、人間の心の貧しさ。

本来はそうじゃなくて、美しいと感じるから見たいだけなのに。

それだけのことなのに、人間が犯罪を作ってしまってるんですね。

残念な話です。

女性の裸=ポルノという見方をとっぱらって見てみると、本当に美しいものってこれだったんだって気づきます。

だから芸術の世界では、女性の裸が多く描かれいるのにも頷けます。

一般の人は、そういった観点から女性の裸を見たことがないので、女性の裸=ポルノとなってしまうのは仕方のないことなのかもしれません。

美しいと感じる前に、女性の裸はイヤらしいものと教えられ、見ることを規制されてしまっていたから。

だから、そのようにしか見られなくなってしまったのだと思います。

 

誰もが、自分が美しいと感じるものを見て、それを素直に表現できる世の中になったらいいのにって思います。

自分がどれだけ感動してきたか?人にどれだけ感動を与えることができたか?

その感動の数々が自分の価値となって、それが喜びで、そのために生きているような気がします。

 

今日も最後までありがとうございました。

 

 

 

 

 

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