自分の価値観を疑ってみる

 

おはようございます、あやこです。

 

みなさんに質問ですが、自分の価値観を疑ってみたことってありますか?

突然変な質問ですみません。

 

昨日の記事、「うそ」について書きましたが、

「うそ」に対しての価値感も人によって違ってくると思います。

こう書くと、「えっ?!」って思う人もいるかもしれませんね。

それは、「うそは善くない」と思い込んでしまっていると、

「うそ」を肯定する人がいるなんて信じられないし、許せません。

 

私も、長年「うそは善くない」と思い込んでいました。

どんな理由があろうと、うそはつかないにこしたことはないと。

誰かのつくうそにとやかく言うつもりはないけれど、

私自身は人に対しても、自分に対しても誠実でいたい、そう思っていました。

そのことについて、ふと「何で私は誠実でいたいんだろう?」って考え出してしまいました。

私のよくない癖、考えなくていいのに考えてしまう(笑)

でも、その癖のおかげでひとつ気づけたことがあったので、この癖も時には善しとします!

 

で、何がわかったかというと、普段私は物事には善い悪いはないと思っています。

そして、そう決め付けることもしないようにしています。

それは、色んな角度から物事を見て、その事実をできるだけそのまま受け入れたいと思うからです。

物事をそのように色んな角度から見ることによって、私自身ずいぶん柔軟になったと思います。

白か黒しかないところに、グレーにもOKが出せるようになってきました。

 

話は戻って、「誠実でいたい」という思いの裏には、

やっぱり「うそをつく自分」がまだまだ許せていないことが判明しました。

 

今日の記事は、自分のために書いていたりします。(笑)

読者目線はどこいった?と言われてしまいそうですが、

多くの人にもあてはまると思うので我慢してお付き合いください。

 

「うそ」が何で善くないのか?

その理由は、人をだまして自分が利益を得ようとすることがフェアじゃないって思うからではないでしょうか?

私の場合はそうです。うそをつく場合も、つかれる場合も。

もし、本当のことを聞かされていたら、言っていたら、

だまされはしなかった、自分は損しなかったと思うからです。

 

利益を得ることが得で、だまされることが損だと思っていたら、

やっぱりその考えに至りますね。

 

自分は損したくないって恐れるから、うそが出てきてしまう。

うそをつかれても平気な人はいないかもしれませんが、

時と場合によってはうそが許せる人というのは、

それが本当に相手のためになると知っているからできるのかなって。

相手のためにうそつきになれる。

 

相手のためになるうそがあるなんて、

「うそは善くない」って思い込んでいたら気づけませんよね?

 

子供の頃のサンタクロース、あれは誰のため?何のため?につくうそなんでしょう?

決して、親が自分を守るためについたうそではありませんよね?

子供に夢を与えるためにつくうそ。

 

結局、うそだからいけないってすぐに決め付けるんじゃなくて、

それは何でついたうそなのか?誰のためなのか?って考えていくと、

善い悪いで判断できるものではなくなってきます。

それは、うそだけに限らず言えることです。

 

今回は多くの人が否定的に捉える「うそ」を例に上げて書きましたが、

当たり前のように持っている自分の価値感、一度疑ってみると色んなことに気づけます。

今持っている価値観は、

自分が生きてきた過程で自分で作り上げたと思っているかもしれませんが、

価値観のほとんどは人や社会から教え込まれたものがほとんどです。

それを何の疑いもなく受け入れてしまっている私たちがいます。

今ある価値観を疑って、もう一度自分で作り上げていく作業をしていくと、

本当に多くのことに気づかされます。

 

その気づきを得ること、そこに喜びや生きる意味が隠されているように思います。

 

ぜひ、自分の価値観を疑ってみることをおすすめします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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