親への感謝がはじめてできた日

 

本当に次から次へと思いが溢れて止まりません。今日は3回目の記事を書いています。

インフルエンザになるのも悪くありませんね。でもそれも、普段の健康があってこそ言えることです。健康に産んでくれた母親に感謝です。本当に心から思えるようになったのは、つい最近です。もしかしたら、さっきかも。健康であることが当たり前でそのありがたみをまったくわかっていませんでした。頭ではわかっていて、感謝しているつもりでいましたが、まだまだ足りていませんでした。

そもそも、タイトルにある「親への感謝がはじめてできた日」それは、今日なんです。先ほど書いたこととは別に、あることに気づいてしまったのです。

私は、よく親に「ホントあんたは、よくとしんぞうだね!」と言われていました。みなさん、よくとしんぞうって何?と思われますよね。今、調べてみたらそんな言葉ないんですね(笑)親の作った造語だったなんて驚きです!どういう意味かというと、単純に欲が深いということです。私はいつもそう言われていました。私には弟がいるのですが、弟はまったく欲がなく、私が弟に「お姉ちゃんに、これちょうだい!」と言うと、ほとんどの物をくれました。それを見ていた親が、私につけたあだ名が「よくとしんぞう」だったんです。

私も子供だったので笑っていましたが、今になって思うと、そのことから「欲を持つのはいけないこと。欲深い私はいけない子。」と思い込んでいたようです。

今でも私は欲深いと思います。欲しい物があればとにかく買ってしまいます。ですから、お金の使い方もあればあるだけ使ってしまいます。よく周りから怒られます。もっと計画的にと。

これも昔友人に言われたことなのですが、「あやちゃんはいいよね~、好きな格好して、好きな車乗って。よくそんな生活できるね。」と。「え?○○ちゃんもすればいいじゃん。」と私が答えると、「私にはそんなことできない。何かあった時のためにお金は貯金しとくの。」と言われました。何かあった時ってなんだろう?とその時思いましたが、確かに何かあった時には、あるお金すべて使ってしまっている私はどうすることもできないなぁとちょっとだけ反省してみたりもしました。

でも、何とかなるでしょ!と常に思っているので、その後も変わることはありませんでした。

恥ずかしながら、今でもそれは変わりません。

考え方が甘いと言われれば、それまでなんですが、私がこれまで無謀なまでのお金の使い方や行き当たりばったりの生き方をしてこれたのも、全部ピンチの時は誰かが助けてくれたおかげです。

そう、いつも誰かが助けてくれる。

私の奥深くに、「必ず誰かが助けてくれる」と信じて疑っていない自分がいるんです。

実際そうなってきています。何度もピンチの時はありました。ピンチの連続と言ってもいいぐらい。その度に誰かが助けてくれている。

その多くが親です。

私は、生意気にも親に向かって「子供に甘すぎる!」と言っています。さんざん助けてもらっておきながら。私が、困ったら誰かに助けてもらえると思った甘えた人間になったのは、甘すぎる親のせいだぐらいに思っていたのです。

確かにある側面から見たらそうかもしれません。他人が見たら、きっとうちの両親のことを甘すぎると言います。

私は、自立した強い人になりたいと思ってきました。それにしては、まだまだ甘えた部分があり過ぎます。それをいい歳した大人なのに恥ずかしいと思う自分もいます。

でも、そのおかげで、私は「必ず誰かが助けてくれる」と思い込めているので、無謀な生き方?(本人はそう思っていませんが、周りからはそう見えるらしい)ができるのだと思います。

友人の言った「あやちゃんはいいよね~。」は、それを表していたのかもしれません。

親の十分な愛があったからこそ、私はここまでこれたのだとあらためて気づかされました。

そして、そのことに気づいた今日、両親にやっと心から感謝することができました。

この記事をアップする1月18日は父の誕生日です。感謝の気持ちを伝えたいと思います。

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